大瀧詠一の曲が流行っていてアルバイトに明け暮れていたころ、念願だった、生地は濃紺のフラノ、袖口は2つボタン、前は3つボタン段返り、後ろはセンターフックベントのJプレスの紺のブレザーを、当時、横浜そごうの6Fのメガネ売り場にいた杉本先輩の口利きで、4Fにある紳士服売場で購入した。
内側にネームを入れて出来上がった紺のブレザーを着て杉本先輩のところにお礼に行くと、「ちょっと時間ある!」という感じでB1Fにあるメガネ売り場に連れられ、売場の店長・小沢さんを紹介された。杉本先輩より少し年上の小沢さんは、トラッドの着こなしがしっくり決まり、ファッション誌から出て来たようなお洒落な方だった。その小沢さんが「紺のブレザー似合っているよ」といって、自分の襟に着いていた小さな薄紫色のピンバッチを外して、私の紺のブレザーの襟のフラワーホールに着けてくれた。小沢さんは、立ち居振舞いもお洒落だった。今思えば、これが私がピンバッチを集めるようになったきっかけだった。
南青山にお客さまがいて、定期的にお伺いしていた。地下鉄・銀座線の青山一丁目を降りて、地上に上がるとホンダの本社がある。本社ビルの前のスペースには、いつも売出し中の車やバイク、世界中のサーキットを走り終えたF1カーや2輪、4輪のレイシングカーが並んでいる。私の目と足はいつもここで止まる。年末も近いころ、いつものように覗いて見ると「イタヤピンズコレクション展」の看板があった。何だろうと思い中まで入った。ピンズとはピンバッチのことだった。ホンダ本社の1Fショールームの一角に1.8mのショーケース3台とその上の壁に、見たことのないピンバッチがキレイに並べて展示してあった。場所がホンダだけに車やバイクのものばかりと思ったが、それはほんの一部で、全て初めて見るピンズばかりだった。それはもう色々なピンズがあった。少し見て帰るつもりが、見惚れてしまった。ピンズを見ている私に紺のブレザーの襟にピンズを2つ着けた人のよさそうな紳士が私に声をかけてきた。板谷金吉さんだった。
板谷さんは、私にピンズ一つ一つにあるストリーを丁寧に説明してくれた。今まで、ピンズは企業の販促物やランドマークの記念品、お土産の程度に思っていたが、「コミュニケーションツール」だということに気づいた。そして、板谷さんからピンズは交換するものだということを教わった。
板谷さんは「ピンバッチと言ってはいけない、ピンズと言いなさい」と私に口すっぱく言った。ホンダ本社1Fのショールームの一角で「ピンバッチはガチャガチャやおまけだ。私たちが扱うピンズには、一つ一つにみな人間のストリーとこだわりがある」という説教に近いお話を初対面の私に1時間もした。この人はただ者でなかった。
私は板谷さんと出会って、どうしても自分のオリジナルのピンズを作ってみたくなった。でも板谷さんは、ピンバッチとピンズの違いもわからない私に、そう簡単にピンズを作らせてくれなかった。ホンダでのイタヤピンズコレクション展は夏と冬の年2回開催されていた。その開催を知ってから私は、毎回、何回も見に行った。そんなある日、板谷さんからピンズを作る話が持ち出された。うれしかった。そこで私がうっかり「本当にピンバッチを作らせてもらえるのですか」と言ったものだから、板谷さんは「君はまだピンバッチと言うのか」と怒って、1時間私に説教した。この後も、このようなことは何回かあった。
板谷さんにプロデュースしていただき作ったピンズもいつの間にか8作品になった。ピンズ展では、板谷さんが作ったピンズやプロデュースしたピンズが新作ピンズとして並べられた。板谷さんの作るピンズはには、必ずストーリーがあり、随所にこだわりがあり、そのプロジェクトやイベントに携わる人の顔が見えた。作成する過程をものすごく大事にしていた。
板谷さんはピンズ展の開催が近くなると、ふらっと私の会社に現れ「今、俺はこんなピンズを企画して作っているんだ!」と話をしてくれた。私が最後に聞いたのは、東京スカイツリーのピンズだった。時間の経過と共に形が変化するスカイツリーが完成するまでの5段階のプロセスを、忠実に再現した5つのピンズだった。目のつけどころが板谷さんだった。ピンズ製作に、事務局からOKを得るための条件「正確な表現」をクリアするために、申請と修正を何度も繰り返した。そして、63.4mmのピンズが誕生した。最後はスケールにもこだわった。このピンズは、年末のピンズ展の新作だった。残念なことに、板谷さんは実際のスカイツーリーを見ることなくこの世を去ってしまった。
私にピンズのことをあんなに熱く語り、そして説教までしてくれる人はもうこの先いないだろう。板谷さんが情熱を注いだ小さな鉛の塊のことを私も誰かに話したかった。おこがましくもそう思ってしまった。そんな時、セミナーで知り合った平塚のフランス料理店のオーナー・相山さんのお店で、ピンズを展示させていただけることになった。相山さんにもご理解をいただき、ピンズ展の開催は今年で4年目、4回目になる。ホンダの本社で板谷さんがコレクション展を開催している同時期に、板谷さんのマネをして私も新作ピンズや、友だちからいただいたピンズを披露させていただいている。ピンズにはそれぞれストーリーがあり、人がいる。そのピンズを見ながら話しの花が咲く。こうして小さなピンズが人と人をつないでいくシーンを板谷さんもきっとどこかで見ているに違いない。私に説教しなければと思っているだろう。ピンズを教えてくれた板谷金吉さんに敬意を表する。(文責:中島正雄)
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