2017年2月23日の新聞に「地球に似た惑星7つも確認!」という記事が出た。検索エンジンGoogleのロゴも望遠鏡のイラストに変わるほど、未来を変えるかもしれない出来事だった。米航空宇宙局(NASA)が会見を開き、40光年先、つまり光の速さで40年かかる先の宇宙を、NASAのスピッツァー宇宙望遠鏡で観測し新しい惑星を発見したという。よくもそんな遠くを観測できたものだ、その望遠鏡とはいったいどんなモノなのだろうかと思った。
私がこのニュースに反応したのには理由がある。先日、マネジメントゲーム(MG)の開発者・西順一郎先生(78)とお会いしたときにすすめられた『科学の発見』を読み始めていたからだった。
『科学の発見』の著者は、アメリカのノーベル物理学賞を受賞したスティーヴン・ワインバーグ氏。この本は、彼がテキサス大学で、科学や数学や歴史について予備知識を持たない学部生向けに行った、科学史講座の講義ノートから生まれたものだった。厚さ3cmの本は私にはちょっと手ごわかったが、西先生のアドバイスのとおり、第4章、残り1cmのところから読むことにした。
ワインバーグ氏はこの本で16世紀から17世紀にかけて科学革命があったことを明らかにした。科学革命はコペルニクスから始まった。コペルニクスは、当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされることだった。
地球が太陽のまわりを1周する長さが1年だ。天動説の計算方法だと1年の長さに誤差があった。コペルニクスは教会の司祭の資格がありながら司祭にはならず、天体観測を続けた。そして、太陽が宇宙の中心という地動説の論文を発表した。地球が中心でないというのは、当時のキリスト教指導者にとって都合が悪かった。
コペルニクスは、死ぬ直前に書き上げた著書『天体の回転について』で「地球は動いてる」いると断言した。コペルニクスの死後も『天体の回転について』は、科学者とキリスト教指導者を悩ませて行くこととなる。60年後にコペルニクス説を改良し、惑星運動の法則を発見したケプラーが登場する。コペルニクスとケプラーは肉眼の観測で、地動説を誰もがわかるように数学的で説明できるようにした。
ガリレオ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインといえば史上4大科学者である。1597年、ガリレオはケプラーの『宇宙の記述の神秘』を2部受け取った。ガリレオはケプラーに「まだ公にしてたことはないが、私もあなたと同じようにコペルニク派です」と手紙を書いたという。ガリレオも地動説派で、教会にそむいていた。ガリレオと教会の対立はなんと4世紀後の1979年まで続いた。
1609年、ガリレオが筒眼鏡と呼ばれるオランダ製の新式機器のことを初めて聞いたとき、天文学革命が始まった。ガリレオはすぐに改良版の望遠鏡を製作し、ヴェネチアの総督と名士たちに「これを使えば沖からやって来る船を肉眼よりも2時間早く捉えることができる」と実演して見せた。そして、ガリレオは望遠鏡を国に寄贈し、終身教授の身分を保証され、大学の俸給は3倍に引き上げられた。その3か月後に望遠鏡の倍率を8倍から20倍にまで高めることに成功し、望遠鏡を使って天体観測を始めた。
ガリレオは自作の望遠鏡を使って、6つの歴史的な天文学上の発見をした。望遠鏡のおかげで、肉眼では見ることのできなかった無数の暗い星を観測することができた。それは著書『星界の報告』にまとめられた。望遠鏡という道具があったから地球が動いていることを証明することができた。
西順一郎先生は、この本を読んでいると自身がMGを開発した当時のことを思い出すと言った。西先生はMGの開発と同時に、会社を数学的に表した企業方程式を発見した。最初の考え方では、数字の算出方法に率(%)を使っているところがあり、僅かな誤差が出ていた。そのときシャープからポケットコンピュータ(ポケコン)が発売された。
このポケコンなら、方程式の誤差を解決できるかもしれないとすぐに思った。そして、ついに誤差のないシンプルで美しい企業方程式が生まれたという。
その話を聞いて、ガリレオの望遠鏡と西順一郎が使ったポケコンがリンクしてしまった。私には、西先生が横須賀から東京に向かう京浜急行の電車の中で、ポケコンと格闘する姿が容易に想像できる。この瞬間から、企業革命が始まったのかもしれない。科学者は、いつの時代も道具を見つけて未来を変える法則を発見する。 (文責:中島正雄)

2月星座 絵イラスト:吉田稔美
投稿者プロフィール
