神保町マイツール教室

あと1時間ばかり仕事をして帰ろうと思っていたところに、突然、すごい勢いて知らない顔の男が入って来た。歳は30代だろうか頭は丸刈りでチャラチャラした感じではなかった。私はその男が何を言い出すのかを待った。そして、その男は「私は今、西研究所でMG(マネジメント・ゲーム)を勉強しています。ここでマイツールを教えていただけるのですか?」と言った。“西研究所でMG”と聞けば、簡単に追い返すわけにはいかなかった。私はそれにしてもこんな所によく来たものだと思い、彼に敬意を表し仕事を中断して話を聞くことにした。それは、彼から私が久しく忘れていた何かを感じたからかもしれなかった。

マイツールというのは、日本が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われ日本型経営が賞賛された時代に、日本人が作ったパソコンのビジネス用のソフトウエアである。それは、コピー機でなじみのリコー社が販売していた。Windowsパソコンが出る前のパソコンは、パソコン本体とソフトウエアとが一体で売られていた。だからマイツールを使うには、リコーからパソコンごと買わなければならなかった。その頃、マイツール1台の価格で、トヨタの車、スターレットが2台買えた。その当時パソコンは、とても個人では持てなかった高価な仕事の道具だった。DOS/VパソコンとWindowsの普及でパソコンが個人でも持てるようになると、仕事でパソコンを使う人が一気に増えた。しかし、マイツールはこの流れに乗り遅れた。マイツールを使う新規ユーザーは増えなかった。リコー社はついにマイツールを手放してしまった。今、マイツールを使っているのは西研究所でMGを勉強している人たちが中心で、それはごく少数の人たちだった。

このような状況中、マイツールのことを知りたい、勉強したいと思ってインターネットで検索してみても情報を得ることは難しい。私だってマイツールを使っているが、ネットでマイツールのことを配信したりはしない。私は彼と1時間ほど話をした。私は、彼の熱意と真剣さに押し切られ、その場で来月から隔週で水曜日の夜に2時間、マイツール教室をやる意思決定をした。生徒1人と先生1人ではつまらないので、誰か連れて来て欲しいということが私からの条件だった。私は偉そうに引き受けたものの、私がマイツールなど教えていいものだろうかと考える日々がそれから始まった。

私はマイツールが好きで、マイツールを使って沢山の徳を得ている。が、業績につながっていなかった。マイツールは仕事の道具である。マイツール誕生の歴史、使っている事例を見ても、それは間違いない。言い換えれば、マイツールを教えるということは、仕事のやり方を教えることと同じだと私は思っている。私も彼のように、どうすれば今より良くなるのかと迷い、西研究所のMGにたどり着いた。西順一郎先生の一言一言が神様のお告げの様に聞こえた。その一つがマイツールだった。マイツールを使えば自分が変われる、そして、会社が良くなるかもしれないと思った。もうそれしか無かった。今の私は、私なりにマイツールと仕事の関係の答えを持っていた。

約束したマイツール教室の日が来た。彼は約束を守って友だちを1人連れて来てくれた。会計事務所に勤めている女性だった。私は彼が来るまで何を話そうか、何をやろうか考えがまとまっていなかった。私にマイツールを教えてくれた人たちの顔と言葉が頭の中をかけめぐった。最近、マイツールを作った人の一人、荒川博邦さんと話す機会があった。荒川さんはうれしそうに「マイツールに『おせっかい機能』を付けたんだ」と開発当時のエピソードを聞かせてくれた。私は、またマイツールが好きになった。

私は、マイツールの一番の醍醐味は表を作るところにあると思う。表を作るコマンドは「F」(フォーマットという)。あれやこれやと考えて、よっしゃー!と白紙の紙に表作る作業だ。他人から与えられた表ではなく、何も無いところから自分で考えて表を作る。その表が仕事とリンクするまで、使いモノになるまで、きっと何回も何回も項目を加えたり削除したり、変えたりして行くだろう。これが業務改善だと教わった。表の直しを他人に頼まずに、思った時に自分の手で出来ることにマイツールを使う意味があると思う。西先生は「経営者はマイツールしか使えない」と言っている。

第1回目のマイツール教室は、迷わず「F」ドンからはじめた。
(文責:中島正雄)

左:松本さん・右:小野さん

左:松本さん・右:小野さん