設立記念日

1998年6月1日は、わがコンピュータリブ社の設立記念日。1998年というと「ITバブル」といわれたころで、起業ブームでもあり、ドットコム会社、つまりインターネット関連ベンチャーが多く設立された。そして、1999年から2000年にかけて株価が異常に上昇したが、2001年にそのバブルははじけた。

日本では、1993年ごろデル・コンパック・ゲートウェイの“DOS/V”パソコン御三家により、がんばれば個人でも手に入れることができる20万円前後のパソコンが発売されると、パソコンブームがはじまった。これを“DOS/V革命”と言った。その次に、ニフティ・PCーVAN・SOーNETによるパソコン通信ブームが訪れた。計算機だったパソコンが通信機に変わって、仕事のやり方が変わりはじめた。企業は社内の報告・連絡・相談を紙でなく電子メールでやりとりをはじめるようになった。いわゆるデジタル化のはじまりで、これを“電子メール革命”と言った。1995年のことだった。

当時の私は、マイツールというデーターベース言語のパソコンを知り、それを触っているのが面白くてしょうがなかった。そこに、DOS/V革命、パソコン通信の波が押し寄せた。そして、食品メーカーの営業マンからパソコンを取り扱える仕事に転職をした。Windows3.1が動くDOS/Vパソコンを買い、未知なる機械を何度も分解しては組み立て、ディスクを初期化してはWindowsを入れた。私はこうしてパソコンを自分の道具としていった。それは子どものころ、オヤジが会社に行っている間に、ドライバーで目覚まし時計を分解してまた組み立てるときのスリルに似ていた。とにかくパソコンが好きだった。

革命は起きているときは気づかないという。当時は何が革命だったかというと、パソコンとパソコンをつなぐためには一台当たり20〜30万円のコストがかかる上に、技術的にも簡単ではなかった。パソコン通信の普及でパソコン同士が簡単に安くつながった。まさに革命!そこから仕事のやり方が変わり出した。パソコン上にあるテキストや数字などのデータはコピーして簡単に二次利用出来るし、大量の情報の中から目的の情報を検索して探すことも出来る。パソコンで行う計算は電卓と違って何度も再計算が出来る。コピー・検索・シミュレートがパソコンの得意技なのだ。安くパソコンがつながったといっても、パソコン通信時代は意外にコストがかかった。パソコン通信会社に時間当たりの使用料を払い、なおかつ電話線を使うのでNTTにも電話代を払っていた。時間従量制の課金だった。それでもパソコンを使ったコミュニケーションは加速していった。1996年、そこにインターネットが登場した。

電気店に行って「インターネット下さい」という笑い話があったが、そう笑える話でもなく、私たちの生活にインターネットが入って来て20年になろうとしている今でさえ、インターネットで何がどこまで出来るのかわからない。それほどインターネットを利活用するサービスは今も日々進化している。

1998年、そんなとき私は起業をした。まだパソコン通信ブームだった最初の一年は、パソコンの販売をさせていただいた。パソコンの低価格競争に、さすがのコンパック、ゲートウェイ社も撤退を余儀なくされ、残っているのはデルだけである。ニフティをはじめとするパソコン通信も、インターネットの波に飲み込まれていく。なんといって通信コストが全然違っていた。それに、ホームページという新しいメディアが世の中を変えはじめていた。ソフトバンクの孫正義社長も、いつの間にかソフトウエアの販売会社から携帯電話会社に変身していた。

私は、週末は御茶ノ水にあったホームページ制作の専門学校“デジタル・ハリウッド”に通ってノウハウを仕入れた。ホームページを運営するサーバーパソコンは、リナックス(Linux)というので、その情報も仕入れに通った。二年目は、パソコン教室で知り合った矢野直さん(当時77歳)にお世話になり、事務所を自宅から千代田区神保町に移した。そして、そこに専用線を引込み、ノーザンライツ社製のリナックスサーバーを買い、ホームページ作成事業をはじめた。ホームページ作成事業は今もわが社の事業の中心である。沼畑弘喜さんという優秀なプログラマーと出会い、PHPスクリプトとPostgresSQLデータベースを駆使して、写真共有サービス「Mr.Cheese」やインターネット予約システムを作り展示会に出展したこともあった。しかし、事業としては上手く行かなかった。私のビジネスモデルは、あのときのニフティ社のように使用料収入だったけれど、ネットビジネスのビジネスモデルは使う人には無料で、お金は広告収入いうのがインターネット流だった。

パソコンがインターネット経由でつながることは、今はデフォルト、つまり初期値だ。費用もFree(無料)。ハードディスクはクラウドへ、クラウドとスマートフォンの間にあるのはホームページ、それはブラウザというソフトが主役になった。パソコンの時代からブラウザの時代になっているのだ。

設立記念日だった日に、一人いる社員が「設立記念日は創業当時の原点に戻る日ですよ」と言った。なるほど、そういえば当時、私は週末、起業塾に通い、いくつもの事業計画を書いてプレゼンしたり、聞いたりした。投資家たちをうならせるプレゼンは出来なかったが、起業して今日に至る。起業したときに友人、知人にA3裏表に事業計画を印刷して送っていた。その書類を引っ張り出し、社員に見せた。読んでいて恥ずかしくなった。そこに書いてあるのは、会社を続けている以外に一つも達成しているものはなかった。お客さまがいっらしゃるお蔭で続けられている。お客さまに本当に感謝、感謝、感謝。そして、その計画書に書いてあって今でも変わっていないのは「やさしくデジタル」というモットーだけだった。これからも「やさしくデジタル」でお客さまの事業発展の役に立てるように成長して行きたい。

(文責:中島正雄)