高野豆腐と胡麻豆腐

「なくよ」と言えば「うぐいす平安京」。では「むれなす」と言えば、「かもめ遣隋使」、そう小野妹子。では「白紙にもどす」と言えば、「遣唐使」のことだ。平安時代の唐(中国)は様々な文化の最先端だった。西暦804年、最澄38歳、空海31歳の時、同じ遣唐使の一員として唐へ向かうことになった。最澄は、桓武(かんむ)天皇に認められていて、エリートで超有名人、旅費などの費用は全て無料、しかも通訳付きの特別待遇だった。一方、まだその頃、無名だった空海は、長期滞在が義務づけられたその他大勢の留学僧だった。

唐で空海が目をつけたのは、当時最先端だった「密教」だった。空海は難解な古代インド語であるサンスクリット語をすぐにマスターし、さらに、密教の教典やマンダラを日本に持ち帰った。そんな空海に対し最澄は、エリート留学だったため滞在期間は短く、当時主流だった天台宗の奥義をマスターした程度だった。やがて、日本に「密教というものが大きな力を持っている」という情報が入ってくる。嵯峨(さが)天皇は、密教をマスターしていた空海に高野山を与え、仏教で国家を護る役目を任せることにした。そのことはまたたく間に天下に広まり、空海の名は、エリートの最澄と並ぶようになった。

頭のいい最澄は、よく機転がきいた。中国で密教を学ぶことができなかった最澄は、なんと空海に弟子入りをしたのだ。そこでマンダラが活用される。密教の奥儀は師匠から弟子へ口伝えで伝えられていた。密教は言葉で伝えるには難しいので、絵で見せれる方法が生まれた。それがマンダラだった。

その空海の知恵のマンダラを、クローバ経営研究所・松村寧雄氏が現代で使えるように「マンダラチャート」を開発した。松村氏が開発した3×3の9マスのマトリックスでデザインされたマンダラ手帳を、私はいつも胸ポケットに入れ、問題解決ツールとして使っている。私は、一般的な横罫が引かれた手帳では、なんだか調子が出ない、頭の中が整理されないのだ。9マスのマンダラに情報を書き込み眺めていると、自然と次の一手が見えてくるから不思議だ。今回、マンダラ手帳の開発者の松村寧雄とマンダラの原点「高野山」に行くというセミナーが企画された。

高野山は和歌山県にある。私は前日、和歌山市内に泊まり、そこから高野山に行くことにした。JR和歌山駅からJR和歌山線で橋本まで行き、南海高野線に乗り換え、さらに一時間で極楽橋駅に着く。そこからはケーブルカーで高野山駅まで行く。9時に和歌山を出て集合場所に着いたのは11時だった。

高野山駅前は、私が思っていたイメージとは違い、世界遺産というわりに何もなかった。駅の横に一軒だけ土産物屋兼食堂があった。私には、荷物を持って山道を歩いて散策するという選択肢はなかった。「2時まで居ていいですか?」と尋ねると、「どうぞ〜」と、いい人だった。4人席のテーブルに一人で陣取り、卓上のメニューからビールと一つ目の名物の胡麻豆腐を注文した。

高野山だから高野豆腐かと思ったけれど、高野豆腐はメニューに無かった。高野豆腐といえば、母がよく作ってくれた。京都育ちの母の玉子焼きは甘くないが、汁をよく吸った高野豆腐は甘かった。私が美味しいうと毎日でも出てきたが、最近では正月に食べるくらいになってしまった。

セミナーの企画力と段取りが行き届いていて、イベントがトントン拍子に進んでいった。時間通りにマイクロバスが迎えに来て高野山に行くと、現地ガイドの案内で金剛峯寺(こんごうぶじ)を見て、胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来と金剛界(こんごうかい)の四仏が祀られる”立体マンダラ”を見に根本大塔を目指した。

高野山の街中は、駅前とは随分違って賑やかで、欧米人の観光客が多いことに驚く。高野山で宿泊するのはお寺の宿坊。私たちは東の端にある恵光院に泊まった。宿坊に着くと、次のイベントは阿字観での瞑想(30分間)が待っていた。こちらは坊主が肩を叩くようなハードなものではなく、どんな座り方でもよく、ゆるいものだった。宿坊にも欧米人が多かった。瞑想が終わると食事。もちろん精進料理。お酒も呑めた。

食事が終わると僧侶の案内で夜の奥之院に参拝する「奥之院ナイトツアー」。薄暗い中、今でも弘法大師(空海)がいるという奥の院まで約2キロの参道を、提灯を持って歩く。参道は、樹齢700年を超える杉の古木に覆われ、道の両側に戦国大名の墓石(供養塔なので埋葬はされていない)や企業の慰霊碑など約20万基が並ぶ。聞いただけだど薄気味悪いが、

実際はそうでもない。”大人のきもだめし”感覚の夜参りツアーは、1時間ほどで弘法大師が入定した御廟に到着した。こちらも欧米人が多く参加していた。案内役の僧侶も流暢な英語で説明していた光景は、違和感などなく、高野山に来てから終始見て取れたアンバランスなところに、日本の最先端を感じた。

宿坊に帰り、風呂に入って部屋で交流会を少々するともういい時間になっていた。部屋は障子で仕切られているだけでカギなどない、もちろんベッドも、ユニットバスもトイレもない。欧米人は大丈夫だろうか、いや意外と楽しんでいるのかもしれない。日本人でもけっこう楽しい。

朝は外が明るくなるので自然と6時に起きる。6時半から早朝勤行(お経)。7時から毘沙門天で、太鼓の音に合わせた軽快なお経と、燃え上がる炎の護摩焚きを間近で見た。それはまるでコンサートのようなエンターテインメントを感じた。朝食。そして写経。続いて松村寧雄先生の講義。再び奥の院まで歩き、空海のところ行きお参り。昼食も精進料理を食べて解散!リズムよくあっという間の高野山だった。

日本人もさるとこながら欧米人も多く来る理由がわかるような気がした。高野山には、朝起きてから寝るまで、人を楽しませるコンテンツがすでに沢山ある。そして、お守りやお札、神社仏閣のノベルティグッズ、胡麻豆腐などの名物の売物もある。もしかするとこれも空海の仕業のような気がした。

さて、マンダラは胎蔵界マンダラと金剛界マンダラの2つある。2つ並べて掛けてある場合は、正面に向かって右、東側に掛けるのは胎蔵界マンダラで、女性的原理に基づく理の世界、あるいは物質的な世界観を表す。向かって左、西側に掛けるのは金剛界マンダラで、男性的原理に基づく智(ち)の世界、あるいは精神的な世界観を表しているという。

人間がこの世に生きながら仏になれると説く密教の最高の悟りの境地、つまり即身成仏(じょうぶつ)も、この胎蔵界と金剛界が融合していることによって可能になるという。ここから先は、ぜひ松村寧雄先生のセミナーを受講していただきたい。

前の晩、和歌山で岩橋社長に連れて行っていただいたスナック「SAKU」のママのお気に入りの好男前の守護神、深沙大将(じんじゃだいしょう)に会うのは次回にした。

写真

ビールと一つ目の名物の胡麻豆腐

ビールと一つ目の名物の胡麻豆腐


現地ガイドの案内で金剛峯寺(こんごうぶじ)を見て

現地ガイドの案内で金剛峯寺(こんごうぶじ)を見て


胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来と金剛界(こんごうかい)の四仏が祀られる”立体マンダラ”を見に根本大塔を目指した。

胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来と金剛界(こんごうかい)の四仏が祀られる”立体マンダラ”を見に根本大塔を目指した。


根本大塔の前で

根本大塔の前で


風呂に入って部屋で交流会を少々

風呂に入って部屋で交流会を少々


恵光院の前で記念写真

恵光院の前で記念写真


阿字観で松村寧雄先生の講義

阿字観で松村寧雄先生の講義


写経

写経


朝食

朝食


毘沙門天

毘沙門天


毘沙門天で燃え上がる炎の護摩焚きを間近で見た

毘沙門天で燃え上がる炎の護摩焚きを間近で見た


6時半から早朝勤行(お経)

6時半から早朝勤行(お経)


”大人のきもだめし”感覚の夜参りツアー

”大人のきもだめし”感覚の夜参りツアー


僧侶の案内で夜の奥之院に参拝する「奥之院ナイトツアー」

僧侶の案内で夜の奥之院に参拝する「奥之院ナイトツアー」

<参考ホームページ>

http://www.shukubo.net/contents/about_koyasan/history.html
http://www.ekoin.jp/
http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2015080696641.html